80年以上前!の『来間の空』という替え歌。

80年以上前!の『来間の空』という替え歌。
いまから80年以上も前の話…

デイサービスに通われている大正生まれの方々が小学生の時の話…

平良恵栄先生という、若い、それはとても良い先生がいらしたのだそうです。生徒たちからもとても慕われていたのだそうです。

その先生の転勤が決まり…、先生は教え子たちへの想いを歌詞に乗せて歌を作りました。

それがこの歌『来間の空』なのです。

この歌は童謡『ふるさと』のメロディーに乗せて歌う、いわゆる替え歌です。

来間島を第二の故郷として、このメロディーを選んだのでしょうか?、この歌をデイサービスの皆さんが合唱する姿を見た時には、本当にジーンときました。

まるで80年以上も前のその頃にタイムスリップしたかのような瞬間でした。

先生が来間島を去る、その日に、この歌は生徒たちによって歌われ、みんなが、みんな、涙したのだそうです。

こんな歌詞です。…

80年以上前!の『来間の空』という替え歌。
来間の空(故郷の替え歌)

南高く そびえて スイカ香る 小島に
秋風 清(きよ)らに 吹きすさむ
住みて よき 来間島(くりまとぅ) 

雨の降る日 風の日 よく読みて よく書き
ふた秋早く 来たりて
別れの日は 迫れに

嬉し悲し 子らの師 すこやかに 伸びよと
子らの栄(は)えを 祈りて
別ちゆく 露袖

嬉し悲し 子らの師 すこやかに 伸びよと
言葉強く 立ち去る
来間小島 さらばと

作詞:平良恵栄
80年以上前!の『来間の空』という替え歌。
昔、来間島では多くの農家がスイカを作っていたのだそうです。

もし、もしですよ!

平良恵栄先生の子や孫が、このブログを見るようなことがあるのなら、知ってほしいんです。

恵栄先生は、来間島の教え子たちは、90歳を過ぎたいまでも先生のことを忘れてはいないこと、その先生が作った歌を!、なんの記録もなしに、みんな記憶していたことを!

凄い!

凄い!

凄すぎる!って思いませんか!?


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この記事へのコメント
とても感動的なお話ですね。
「発掘作業」に関わったかもさんも素晴らしいお仕事をなさったと思います。
来間島というコミュニティーの奥深さというか、温かさというか、適切な表現が見当たりませんが、とにかく読んでいてゾクゾクじわーっという感覚にとらわれました。
これからもゾクゾクじわーっ系のお話を沢山載せて下さいね。楽しみにしています。
Posted by がちょん at 2015年12月20日 21:02
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